普段は見れないからこその「ありがたみ」【和泉純のちゅーか、玉タマ日記㉖】

普段は見れないからこその「ありがたみ」【和泉純のちゅーか、玉タマ日記㉖】
パチマガ誌面で「2011年11.27号」あたりから掲載されていた、和泉純のミニコラム。それが『玉タマ日記』だ!

AKBの顔ボカシにすら反応する和泉です。さて、以前このコラムで「モザイクは嫌い」と書いたところ、たくさんの反論をいただいたのだが、ある共通点に気付いた。

それは彼らの年齢。いずれも若い。おそらくはネットや携帯の普及により、自由に局部を閲覧できる環境に育ったのだろう。俺の世代はそう簡単に見れはしなかった。

そう、だからこそ「ありがたみ」があったのだ。南の国でほぼ裸体で過ごす民族は、しょっちゅう欲情などしないでしょ? 普段なかなか見れないモノにこそ価値が生まれるわけだ。いや、わけです。私は貝を見たい。

京楽の「CRぱちんこAKB48 バラの儀式」(2014年)より。見えないからこそ、想像で補うという手もある。(担当編集)

昔のタマを「和泉純」にイジってもらう!

「ありがたみ」は普段忘れがち。

世界情勢の不安定さを見るにつけ、この時代のこの国に生まれて暮らしてることはありがたいことなんだなと思い知らされる。

「民意が届かねえなあ……」なんて思うこともあったが、ロシアよりはマシだ。

あの国家体制だと、たった1人の狂気で世界大戦までになる恐ろしさがあるよな……。

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